罰としての勉強は「悪」だ

塾長の指導観

例えばです。

計算間違いの多い子がいたとしましょう。

それを見た親御さんや先生は考えます。

「何とかして計算間違いを減らさねばいけない!」

そう思い、こんなことを言う方もいるでしょう。









今から1時間、計算特訓よ!!!!




そして計算プリントをその子に渡す。

そして親御さんなり先生なりが腕時計で時間を見る。

「さぁ、今から計算やりなさい!!」

のび太くんのママとかがやりそうですね。

怒るママと計算特訓に汗をかくのび太くん、想像できましたか?




結論から書きます。

これでは計算能力は上がりません。




「計算特訓、1時間よ!!」

と言われた途端、のび太くんの目は計算問題に行きません。

のび太くんの目は時計に行きます

計算問題を見て「計算頑張らなきゃ!」とは思いません。

ちらちら時計を見て「はやく1時間すぎないかなぁ」と思うのです。




最初の5分くらいは「頑張らなきゃ」と思うかもしれません。

でも、10分、20分と過ぎると、時計が気になります。

わざと消しゴムを落っことし、ゆっくり拾い、時間を稼ぐ子もいるかもしれません。

わざと鉛筆の芯を折り、ゆっくり鉛筆を削って時間を稼ぐ子もいるかも。

しょっちゅうトイレに行く子も出てくるでしょう。

そう、計算能力は上がりませんが、さぼるテクニックは上達します。







今日は日曜日です。

中学生と高校生はテスト前です。

お母さん、お父さん、そして塾の先生。

「今日はテスト勉強5時間特訓だ!」

とかやっていませんか?大丈夫でしたか?

これをやってしまったら、今日のお子さんは時計が気になって勉強に集中していなかったかもしれません。




夜の勉強は、お子さんのやりたい教科を自発的にさせるとかどうでしょう。

懲罰的勉強は何も伸ばしません。

余計なアビリティを伸ばす可能性さえあります。

自発的に子どもが勉強するように持っていくこと。

根気は要りますから大変ですが、大切です。



・・・と、これこそ金沢大学附属高校が求める生徒像ですね。

そのお話はこちらのブログでご覧ください。

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