【分析】東大入試 国語 解答速報 by高校1年生(更新中 追記あり)

大学受験

金沢大学附属高校に通う1年生の塾生、

大将こと、

金沢情報王子こと、

TIくんによる同大入試国語の解答速報!!

※今度の金沢情報に大将が出るので見てあげてください(^^)




私が中学入試や高校入試でやっている様に、

大将にも東大入試国語の分析をしてもらおうか、と。



この子の勉強の一環として挑戦してもらうので、

解答が間違っていても、優しい目で見守ってあげたり、

または優しくご指摘いただけたりすると助かります。



現役東大生の方々や、東大卒業生の方々で

もしご覧の方がいらっしゃれば、よろしくお願いします。









第一問 【出典】田中彰吾『身体と魂の思想史―「大きな理性」の行方』

■今年度入試概観
【分量・内容】:出題された文章の量は昨年と比べ減少。内容の難易度は例年並み。
【問題難易度】:例年並み又はやや難
【本文要約】:乳児は生後半年から二歳程度の時間をかけて、鏡に映る自分の姿を自己として認知するようになる。
鏡像認知認知の発達過程には、身体感覚と視覚情報の統合が関係している。 乳児は生まれながらに感覚を持っているが、それを視覚的な自己像と結ぶのには時間がかかる。最終的に、自己認識は「ここにいる身体感覚」と「そこに見える視覚像」の統合によって成立する。この過程で他者の視点を眺め、「自分が外部からどう見えるか」という認識が生まれる。

■解答予想
(設問一)
乳児が鏡像を自己として認識するのは生後一年半からであるため、それまでの乳児は鏡像に移る自己を遊び相手をしてくれる他者としか認識していないから。(71)
(設問二)
自己の認識の醸成過程で、視覚が鏡像を他者とする知覚と体性感覚の連動で鏡像を自己と体感するという知覚の乖離に違和感を覚え、逃避願望が現出するため。(72)
(設問三)
自己視点からの他者と、他者視点の自己を知り、初めて視覚と体性感覚の自己の一致が起こるのであり、その視点を群れで育ったチンパンジーは成長過程で備えているから。(78)
(設問四)
自己の知覚は、成長過程における視覚と体性感覚の一致だけでなく、自己視点の他者と他者視点の自己という両視点を手に入れたがゆえに存在しているのであり、我々が認識する身体イメージは自分だけでなく他者という視点があるがゆえに存在しているということ。(120)




第二問 【出典】撰集抄

■今年度入試概観
【分量・内容】:出題された文章の量は例年並み。内容の難易度も例年並み。
【問題難易度】:例年並みかやや難。
【本文要約】:『撰集抄』は、鎌倉時代中期(13世紀頃)に成立した仏教説話集。作者は慶政という僧侶で、浄土宗の思想に基づいた内容が特徴。

■解答予想
(設問一)
ア:驚き呆れるほど痩せこけてみすぼらしい
イ:見間違いであるだろう
エ:どうしようもなく、宝日上人を取りとどめようとするのをやめてしまいました。            (設問二)
清水寺の宝日上人が、驚き呆れるほどのみすぼらしい姿になったことに対して、心が暗くなるような心情。
(設問三)
遁世した出家者でさえ、着物は捨てずにいるにも関わらず、宝日上人は、服を捨て、周囲の人にも身を明かさずに暮らしていたから。                        
(設問四)
宗教に一心に専念するものの、奇行に走った宝日上人のようにはならないでおこうということ。                                          (設問五)
賀茂川で朝を迎え、また、日が暮れていくように、この世は輪廻転生であるということ。




第三問 【出典】雲棲袾宏『竹筆二窓』

■今年度入試概観
【分量・内容】:出題された文章の量は例年並み。内容の難易度は難。
【問題難易度】:難化

■解答予想
(設問一)
a:大まかに論を展開するのはできない。
b:後世にもその名を残す。
d:覚えても、知ってもいない間に
(設問二)
仏道を学ぶものが、弓やお手玉をする者たちがそれをこよなく専心するように、仏道に専心することに疑いを持つか。いや持たない。                                                            (設問三)
水が石を濡らしているように、長い間おこなっても変化が生じないということ。                                         (設問四)
熟達したいものに対して、ただやっていては能力は身につかない。専心しないことにはその能力習得には程遠いということ。

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